仕事・知識・キャリア以外で、自分を信頼するために必要なこと(2)

前回からの続き。

 

ikedahiro.hatenablog.com

 

「自分がどんな人間で、どこまで成長ができるのか」について、ここ数年考えている。

 

考えていることをノートに書き出し、日が経ってからそれを見返して再び書き出した。複数の観点で自分自身を見れるよう内省の軸をいくつか用意して分析した。結果、ある程度の自己認識と考えはまとめることができた。しかし、あくまでキャリア話の範疇にとどまり、20代初頭から現在までの社会人経験をなぞり掘り起こした程度だった。

 

有名人や成功している人の話だったり、ネットやSNSで支持される考えを聞く度に、自分はもっと違う様にもなれるのではと考えが浮つく。

 

やはり何か欠けている気がした。自分自身をウンザリするくらいまで見つめて掘り下げて、手でつかめる現実感くらいにまで浮き彫りにしたかった。100%なんて知ろうと思っていない。50%でもいい。今はそれ以下だから。

 

「自分がどんな人間で、どこまで成長ができるのか」は、

 ① 自分がどんな人間 = 現在の自己認識

 ➁ どこまで成長ができるか = 将来の自己イメージをどう描けるか

と置き換えができる。現在地(&課題)→ゴール。

 

既存のものを疑い再構築する。これは非常に難しいしキツイ。既存のものが、何を基にして構築したかを考えてみると、色々なバイアスやフィルタリングがかかっているように思えた。それらは、長年の思い込みや苦手意識・食わず嫌い、誤解、偉人や成功者への上っ面の理解、常識、世間で支持されもてはやされる考え、トラウマや嫌な思い出…など。内省や思考を怠り、メンテナンスをしないとこうも錆や汚れが生じる。

 

➁「将来の自己イメージをどこまで描けるか」は、自分を信頼し、勇気を持ち、クリエイティブにならないとできないことだというのも分かった。もちろんおっさんが世界レベルのサッカー選手になる、という無理なモノは省くが、それでも無限に描ける。また、これにはロールモデルが必要なこともわかった。ロールモデルは自分の業界に限るべきではなく、古今東西理系文系天才成上有名無名で探すべきである。

 

つづきます。

 

 #読み終えた本

HARD THINGS

HARD THINGS

 

 

遭難者のサバイバル日記というか、ホラー本というか。めちゃくちゃ重いトラブルが続き、終わりは見えない。どんな有名なビジネススクールで学んだとしても、ほぼ役に立たないと思う。生き残ることへの執着、前進する力、信じること、学び、戦時中に求められるリーダー像が克明に記されている。同時に、自身の手で経営を実行する経営者像についても知ることができる。

 

読んでる間ずっとあるイメージが頭の中にあって、技術が発達していない時代に造られた木造船が悪天候と荒波だらけのベーリング海カニ漁するというもの。


世界一過酷な仕事 ベーリング海の一攫千金 総集編パート2

 

 

#読んでいる本

 

プロフェッショナルマネジャー

プロフェッショナルマネジャー

 

タイトルにマネジャー とあるけど、実際は経営者についての本です(柳井さん序文ですし)。経営者というテーマではHard Thingsと共通しているが、中身は全く別物。

 

宇宙のことを考えるのと同じくらい自分の存在の小ささを実感できる。学生時代にスルーしていたが、地球を計測したり、パンゲアやプレート移動説って物凄いね。仮説を打ち出した研究者たちの狂気、歴史・人類レベルで謎を解き明かすことへ愛着と誇りを持つ。

 

仕事・知識・キャリア以外で、自分を信頼するために必要なこと(1)

ikedahiro.hatenablog.com

 

 昨夜考えたことの続き。

 

 布団から暖かいオレンジの照明に染められた天井を見ながら、考えてみた。

漠然としすぎたテーマで、どこをきっかけにしたらいいか分からなかった。

 

とりあえず、コレしかないという思い込みはせずに、一つ一つ思いついたことを吟味してみることにした。※記号の>は思い付きへの自分ツッコミ

 

・他人への貢献。他人のために何かやる。

  >無償でもずっと続けられる?そんな余裕あるっけ?家族のために稼げば?

 

・自分がやってみたかったことへの挑戦。何かを始めたり、つくったり。

  >会社での昇進が先じゃない?学校行った方が役にたつんじゃない?

  >やる意味なくない?

 

・一つのことを全力でやり遂げる。マスターする。プロになる。

  >家族との時間を犠牲にする覚悟ある?好きなこととかどうでもよくない?

  >それよりも広く知見や経験を広める方がいいんじゃない?

  >これはお金につながるの?それとも自己満足?

  >結局仕事になるんじゃない?

 

 

一つのことを考えると、反射的にネガティブなアイデアで検証するようにしている。

しかし、検証は適当かつすぐに終えてしまうので、結局ネガティブな印象だけが残りがちだと気づいた。学んだ。

 

考えは続く。

 

#今日読み進めた本

頭がよく優秀な奴でも、他人を攻撃して組織を破壊しようとする奴は、たぶんデニス・ロッドマンより凄いレベルじゃないと、絶対に許されない。

HARD THINGS

HARD THINGS

 

 

うつ病九段を読んで、軽度のうつだったかもしれないと知った

昨夜スマホをいじっていたら、たまたま「うつ病九段」というタイトルが目に入った。

興味深いタイトルだったので、無料分を全て読んでみた。

bunshun.jp

 

3月のライオン」が好きでよく読んでいるが、

その監修をされているプロ棋士(九段)先崎学さんの体験をマンガであることに気が付いた。

3月のライオン 1 (ジェッツコミックス)

3月のライオン 1 (ジェッツコミックス)

 

 

うつについては、 うつヌケやネット上の体験マンガ、記事を読んで少し知ったつもりでいた。

若い時―上京後と社会人4年目―には、多少メンタルがやられた経験もあったので、自分の身に起これば当然気づくものと思っていた。

 

しかしうつ病九段を読んで、年末年始の1-2か月ほど自分は軽度のうつだったかもしれないと知った。

先崎さんの症状に心当たりがあった。

 

たっぷり睡眠をとっても消えない疲労

物忘れ、言葉がつかえる頻度の増加。

頭の回転が重く鈍く、視覚に入るものはハッキリ見えるのに、ぼやけたような感覚。

突然ふってくる孤独と悲しみ。

仕事への虚しさと会社への失望、そこにいる自分の価値の低さ。

 

どれも日常でたまに起こるような感情や出来事だ。

身重な妻の神経に触らないよう、家事と育児をしたり、週末には子供との遊びで疲れが出たのだろうと決めつけていた。また、天候の変化や低気圧で体調が左右されることもあるため、「こういう時もあるさ」程度で済ましていた。

 

ちょうど、ステップアップのための転職活動をしていた時期でもあった。自信満々だった私は直ぐに決まるとタカをくくっていたが、最終かその一つ前でいつも落とされた。しかし、自分が「選ぶ」側の感覚でいたのと、どんな会社・ポジションか見てみようと生半可な心構えでロクに準備もしていなかった。さほどショックを感じずに結果を受け入れていた。

 

転職活動より1ヶ月前ほど、仕事量が少なくなり退屈になった。年間目標は達成していたので成績には問題がなかったのだが、ちょうどこの頃位から、他人と自分を比較することが増えていった。昔の会社の同僚や、自分より年下か同い年齢の人たちが昇進や成果を挙げていることを目にして、会社に選ばれず退屈に過ごしていることに焦りを覚えた。

 

およそ3-4か月の間に、焦りや他人との比較(=自分を卑下)、そして感情の起伏、体調への影響が徐々に増していった、と今振り返ればわかる。うつ病九段を読んだ後、布団の中で少しほっとした。そして少し胸が軽くなったように感じた。

 

もう少し考えた。具体的には何が自分を軽度のうつにしたのかと。

 

応募した会社に選ばれなかったからか?

優秀な人間がバリバリ活躍している一方、退屈な時間を過ごしていたからか?

天候の影響か?

家事や育児、妻への配慮に神経をすり減らしたのか?

会社のアホさ加減に嫌気がさし、そこにいる自分を卑下したからか?

転職スケジュールが計画通りにいかず変更を繰り返したからか?

 

私なりに2つの仮説が思いついた。

1つ目は、自分の価値は「仕事」や「自己研鑽」の上に成り立つと信じていた。

2つ目は、「仕事」や「自己研鑽」をしていない時間分、自分の価値は減っていくと信じていた。

つまり、仕事やお勉強を一生懸命にやらない自分には価値がない、と信じていたことになる。

 

この仮説が思いついた瞬間、さらに胸が軽くなった。

同時に、自分はなんと小さなモノサシで自分の未来を創ろうとしていたのか、と絶句した。

 

仕事・知識・キャリア以外で、自分という人間は価値があり、心から信頼できると言いたい。

それが何なのか、また今夜から考えることにしようと思う。

 

2020年1月2日の思うこと

今年の目標と計画を立てている。

 

昨年の目標と結果は、10個中8勝1敗1変更(昨年中)だった。ボーナス点として、計画外で達成したことが2つあり、まずまずの結果だったと思う。加えて、年初に目標を立て調整しつつ年末に振り返り(いわゆるPDCA)をしたことに有効性を感じた。

 

 

今年は、もう一つの試みをしたい。それは日記をつけて、自分の考えを客観的に観察することだ。

 

きっかけは昨年、とある企業の面接で「自分の思考プロセスを可視化する」機会があった。普段仕事でもノートに書きだしたり自分の不安を口に出すことで思考を整理しているが、もっと日常的な習慣として身につけるべきと思うようになった。理由はいくつかあり、自分の頭だけに留めている思考は中途半端にしていることが多いことや、考えたつもりで実は根拠に弱く反論に対応できないこと、浅慮でいつもと同じような分析やOutputになっていることなどがある。一番恥ずかしかったのは、「自分の考えや意思」が自分で分からなかったことだった。去年の振り返りをしている間、この事がずと頭に引っかかっていたので、海藻のごとくへばり付いた思考をもぎ取っては一列に並べて観察したい気持ちになっている。

 

 

昨夜ビールを呷りながら、2018年末の振り返りと2019年の目標と結果をリストに書き出した。それとは別に、2020年の目標を手書きでノートに列挙した。これらの目標が本当に今年達成したいのかどうか、これ以上付け足すものがあるか、はたまた削除すべきものがあるか検討したい。

 

「検討」はどうやって行うか?思い付きだが、外部からnspiringとなるものをInputすることと、自分自身を深堀することで検討したい。深堀とは、自分自身の考えを客観視し、分析し、Outputすること。

 

だから僕は、今こうやって日記を書いている。Outputすると、そこから新たな発見や次のOutputが誘引される。Outputは、A地点からB地点への移動のようなもので、場所が違えば見えるものも次に求められる行動も違うかもしれない。A地点にいた、A地点から移動したという事実がContextに加わることも、分析・行動に影響を及ぼすはずだと思う。

 

少し書いたらちょっとすっきりして、心地よい。今年で習慣化したいな。